TOP >> ほーりー 江戸を斬る!>> 日本橋編:日本橋魚河岸
ほーりー 江戸を斬る!
1590年(天正18)江戸城に入城した徳川家康は城下町の発展のため、関西からゆかりの深い商人や職人達を積極的に誘致しました。摂州佃村の名主・森孫右衛門も、佃・大和田両村の漁夫三十余名を率いて江戸入りし、徳川将軍家の御魚御用を命じられています。やがて幕府に献上した残りを日本橋本小田原町・本船町に魚市を開いて一般向けに商うようになりました。これが日本橋魚河岸の発端です。以来、たくさんの魚介類がこの魚河岸から水揚げされるようになります。毎朝江戸湾や房総沖で取れた鮮魚が、絵にあるような小型高速船・押送船で我先に魚河岸へと運ばれてきました。7挺の櫓を絶えず動かして逆風もいとわず前進するその様子は、
初鰹 ムカデのような 船に乗り
という川柳にも詠まれています。
急いで運ばれた魚は急いで売らねば意味がない、ということで、鮮魚を商う魚河岸の男達はとにかく非常にせっかちで、喧嘩口論が絶えませんでした(同業者とも、客とも。現代ではありえませんね)。しかし、火事と喧嘩は江戸の華、というくらいで、「てやんでぇ、べらぼうめぃ、男は喧嘩っ早いくらいのほうがいいんでぃっ」と、素行が改まる様子はまるでなく(笑)むしろそれが魚河岸の男達らしさであるとして受け入れられていたようです。彼らの生き様は髪型にも表れ、ちょんまげ毛の先を散らしたり、ピンと立てたりして不良っぽいアレンジにしていました。これが鯔の背びれ(鯔背)に似ていることから、イナセという言葉ができたという説があります。イナセとは、魚河岸の男達のように威勢がよくてさっぱりした、江戸っ子らしい気質のことを言うんですね。
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