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ほーりー 江戸を斬る!
不忍の池は古代、上野のお山と本郷台地の間に東京湾が深く入り込んでいたのが、一部だけ取り残された形となり、紀元前数世紀ごろには池となっていたようで、室町時代には今の名前で呼ばれていました。江戸名所図会本文には、「東叡山草創のとき、慈眼大師(天海)この地を江州の琵琶湖になぞらへ、新たに中島を築き立てて、弁天の祠を建立せられしと云々」とあります。比叡山になぞらえて建てられたのが東叡山ならば、琵琶湖に見立てて整備されたのが不忍の池というわけです。また、人口の島である中島については「昔は離れ島にて船にて往来せしを、寛文の末陸より道を築きて、参詣の人に便りあらしむ」とあり、元々は中島が陸から切り離された場所につくられていた、文字通り“池のの浮”であったということがわかります。なかなか風情がありますね。 ちなみに、現在の弁天堂のまわりには扇塚・芭蕉句碑など30余りの記念碑が林立していますが、その中の一つに“めがね之碑”があります。このめがねの碑に刻まれている老眼鏡、じつは徳川家康愛用の老眼鏡がモチーフになっているんですよ。探してみてくださいね~。
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