TOP >> ほーりー 江戸を斬る!>> 上野編:三橋
ほーりー 江戸を斬る!
画面中央にある大きな橋、それから左右の小さな橋をまとめて三橋と言います。真ん中は将軍御成りにも使う公的な橋、左右は庶民の通行が許されていました。
この橋から先が東叡山寛永寺の広大な境内です。山号の“東叡山”というのは、“東の比叡山”という意味。徳川家康・秀忠・家光の三代のブレーンとして君臨した天台宗の僧・南光坊天海によって、江戸城の鬼門にあたる丑寅(北東)の方角に創建されました(ちなみに……天海は享年だけとってみても108歳節~135歳説まであるというミステリアスな人物。じつは明智光秀なんじゃないか?! なんて説まであります)。以来、徳川将軍家の庇護のもと、寺域は最大120万平方メートルまで拡張。祠堂32宇、子院36坊、伽藍7堂を要する威容を誇る、江戸一番の大寺となりました。現存すれば文句なく世界遺産登録になったのではないでしょうか。1868年の上野戦争によってほとんどの建築物が焼失。明治に入ってから上野恩賜公園として整備されました。
三橋があったのは、現在中央通りと不忍通り交差点の辺り。現在では見る影もありませんが、付近には三橋という屋号やビル名がちょくちょく目につきます。あんみつ屋さん“みはし”の本店とかね
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