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第九問
葛飾北斎には、画号を葛飾応為〈おうい〉と名のる娘がいました。才能に恵まれた絵師だった彼女の、画号の由来として伝わるエピソードは、次のうちどれでしょう?
い)北斎がいつも「おーい」と呼んでいたから
ろ)父に内緒で円山応挙を尊敬していたから は)どんな依頼にも応じて絵を描いたから に)北斎が「扇〈おうぎ〉」という名前と聞き間違えたから 第八問
町火消の各組には、「いろは」文字を冠した組名がつけられました。その際、3文字は、語感が悪いなどの理由で除外されました。では、除外されなかった文字は、次のうちどれでしょう?
い)へ
ろ)ら は)ひ に)し 第六問
隅田川七福神めぐりの起点となるのが、墨田区向島の三囲神社です。さて、この神社の名前の由来となった言い伝えは、どれでしょう?
い)神像のまわりを白い狐が3周して去った
ろ)神像に白い蛇が3回とぐろを巻いて去った は)白い犬が3回まわって吠えたら神が現われた に)白い猫が鳥居から3回転して着地したら祟りがあった 第五問
寺子屋では、生徒の学習レベルに応じてかなり自由な教育がされていました。時には師匠に叱られて罰を受けることもありましたが、よく行なわれた「罰」はどれでしょう?
い)水を張った桶を両手に持ち、授業が終わるまで縁側に立つ
ろ)水を張った鉢と火のついた線香をもち、火が消えるまで机の上に正座する は)他の生徒全員の分の墨をひとりで磨る に)他の生徒が帰ったあと、ひとりで教室を雑巾がけする 第四問
身長197cm、体重169kgの巨漢だった雷電為右衛門は、江戸中期から後期に活躍した人気力士でした。では、雷電の幕内での勝率はどれくらいだったでしょう?
い)約78%
ろ)約85% は)約91% に)約96% 第二問
吉原は江戸で幕府が営業を許可していた唯一の遊廓です。吉原では格の高い遊女を「花魁〈おいらん〉」と呼んでいましたが、その語源といわれているのはどれでしょう?
い)妹分の遊女たちが「おいらの姉さん」と呼んでいたのが縮まった
ろ)ベテランで年齢のいった「老いらく」の遊女だったから は)ポルトガル語の「女神」を表わす言葉がなまった に)オランダ語の「天国」を表わす言葉がなまった |
答え:(に)
大奥に40名の側室がいたという家斉。17歳で長女をもうけてからほぼ毎年のように子どもが生まれ、28男27女の55人が誕生。このうち成人(元服、他家へ嫁ぐなど)したのは13男12女だそうです。